三田高野山弘法寺 龍生院 宗派 高野山真言宗 弘仁7年(816)弘法大師空海が紀州和歌山の高野山開創の際に 住房の龍光院、秘法伝授の道場・灌頂院と共に、声明の道場として建立された。 当初、龍王を灌頂したという龍池のほとりにあった伝わる。往時の本尊は地蔵菩薩であった。 天保13年(1842)高野山の大火で焼失。 明治27年(1894)頃、中興開山の渡辺貞浄尼が現在地に寺基を移した。 現在は御府内八十八ヶ所第十三番札所にも数えられ、開創以来約1200年に渡り法灯を守り続ける由緒正しき古刹である。 山門の石段の手前に「弘法大師御府内八十八ヶ所第拾三番」と刻まれた標石が建っている。 この札所は、御府内八十八ヶ所開創当時、霊岸島の圓覚寺であったが、 被災後、諸仏等と共に龍生院に移転され、第十三番札所も継承されている。 三田は大江山の鬼退治(酒呑童子)が伝えられており、今も「綱坂」などの地名が残る。 三田高野山弘法寺 龍生院にも、大江山の鬼を退治した源頼光四天王の一人で、 羅生門の鬼退治で有名な渡邉綱(平安中期の武将)の屋敷跡にあり、 境内の一角には渡邉之綱産湯の井戸が史蹟として残っている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トップページ/神社とお寺の違い/御朱印について/御朱印マップ/ブログ/GoogleMap使用方法/販売/お問い合わせ Copyright (C) 2016 神社仏閣かんたんガイド All Rights Reserved. |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||